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広島高等裁判所 平成元年(行ス)1号 決定

抗告人(原告) 松尾律子

相手方(被告) 社会保険庁長官

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  抗告の趣旨

原決定を取り消す。

抗告費用は相手方の負担とする。

二  当裁判所の判断

一件記録によれば、抗告人は、昭和五八年一一月二七日死亡した船員である松尾千年の妻として、東京都を所在地とする行政庁である相手方に対し、山口県知事を経由して、昭和五九年二月一八日付で船員保険法による職務上の事由による遺族年金支給裁定の請求をしたところ、相手方から、同年三月七日付で職務外の事由による遺族年金支給の裁定処分を受け、右裁定処分について行政不服審査手続を経た後、昭和六二年一一月一七日相手方を被告として山口地方裁判所に右裁定処分の取消を求める訴えを提起し右は同庁昭和六二年(行ウ)第四号事件として係属していることが認められる。

右事実によれば、右取消訴訟は、行政事件訴訟法一二条一項により、本来相手方の所在地の裁判所である東京地方裁判所の管轄に属するものというべきであるところ、抗告人は、右裁定処分に関し、山口県知事が同条三項の「事案の処理に当たった下級行政機関」に該当するから、その所在地の裁判所である山口地方裁判所にも右取消訴訟を提起することができる旨主張する。

そこで、検討するに、一件記録によれば、次のとおり認められる。

抗告人は、下関社会保険事務所に対し、昭和五八年一二月、松尾千年が職務上の事由により死亡した旨主張して、山口県知事宛の船員保険葬祭料請求書を提出し、昭和五九年二月、同様の主張の下に、相手方宛の遺族年金支給裁定請求書を提出した。

下関社会保険事務所長は、右葬祭料の請求については、松尾千年の死亡原因等を調査するなどし、同人が乗り組んでいた船長の作成に係る「当直船員死亡報告書」及び「当直船員松尾千年死亡の件報告書」並びに医師作成に係る「健康証明書」等を提出させたうえ、昭和五九年二月、松尾千年の死亡が職務外の事由によると判断して、右事由による葬祭料の支給決定をし、右遺族年金支給裁定の請求については、その請求書(なお、これには葬祭料の支給に関する調査の際に提出された右「当直船員死亡報告書」等の各書面の写しが同様添付書類として付されていた)を受け付け、点検した後、相手方宛に進達したが、右進達に当たって、同社会保険事務所職員作成の「事情聴取書」及び「松尾律子(死亡者松尾千年)請求の遺族年金について」と題する書面を添付した。

右「事情聴取書」には、下関社会保険事務所が葬祭料の支給に関して実施した松尾千年の死亡原因の調査経過及びその死亡が職務外の事由によるとの判断結果の記載がなされ、右「松尾律子(死亡者松尾千年)請求の遺族年金について」と題する書面には、同社会保険事務所が同人の死亡原因を葬祭料の支給に関しては職務外としながら、遺族年金支給裁定請求では職務上として進達する経緯等の記載がなされていた。

下関社会保険事務所では、通常遺族年金支給裁定請求の進達に当たって右のような書面を添付する慣例はないが、右進達の際には、偶々松尾千年の死亡が職務外の事由によるとした葬祭料の支給決定をしたのとほぼ同じ頃であったため、所轄を異にするとはいえ、同一人の死亡にかかわる処分の整合性に対する配慮の観点から、相手方の参考に供する趣旨で、特に右各書面を添付した。

以上のとおり認められる。

右事実関係の下で、下関社会保険事務所長の遺族年金支給裁定請求の進達における一連の事務処理が、行政事件訴訟法一二条三項の「下級行政機関」として「事案の処理に当たった」ということができるかどうかについて考察する。

行政事件訴訟法一二条三項は、行政処分の中には、形式上は上級行政機関が行なった処分の体裁をとってはいるが、下級行政機関が資料を収集して意見具申をし、これによって上級行政機関が処分をするなど、実質上は下級行政機関が処分をしたのと同様な関係にある場合があり、このような場合には、下級行政機関の管轄区域内に資料等も存在するため、上級処分庁の所在地で審理しなくても被告行政庁側が応訴に困難を覚えることはなく、審理の円滑な進行も期待でき、原告国民側にとっても出訴が容易であるなど、双方の利害の均衡をはかることができることから、特別に下級行政機関の所在地に裁判籍を設けた規定と解されるが、右規定の趣旨からすると、その「事案の処理に当たった」とは、下級行政機関が上級行政機関の依頼によって処分のための資料収集の補助をするなどして関与した程度では足りず、自ら資料収集のうえ上級行政機関に意見具申するなどして、上級行政機関の意思形成に協力し処分の成立に実質的に関与する場合を意味するものと解するのが相当であり、また、同項の「下級行政機関」とは、法令上資料収集や意見具申等の権限を有する行政機関に限らず、内規等により運用上資料収集や意見具申等の関与が求められている下級行政機関であってもよいが、ただ、その事案の処理に関してなんらかの意味での指揮命令に服する関係にあることが必要とされるものというべきである。

ところで、船員保険の事務は、原則として、船員保険法二条一項により政府が管掌するが、その事務の具体的運営は、厚生省設置法一一条、一二条、五条九八号により相手方の任務とされている。例外として、その事務の一部は、船員保険法二条二項により都道府県知事の機関委任事務とされ、都道府県知事は、地方自治法附則八条、同法施行規程六九条、七二条、七三条により右事務の一部を社会保険事務所長に委任することができるものとされている。保険給付に関する事務は、船員保険法施行令一条四号により、原則として都道府県知事に委任されているが、被保険者又は被保険者であった者の障害又は死亡に関する保険給付の決定及び給付額の算定に関する事務については、葬祭料に関する事務を除いて、委任の対象から外されているから、結局、葬祭料に関する事務は都道府県知事又はその委任を受けた社会保険事務所長が行ない、遺族年金支給裁定に関する事務は相手方が行なうことになる。もっとも、遺族年金支給裁定請求書は、同法施行規則八七条、八一条二項により都道府県知事を経由して相手方に提出するものとされ、都道府県知事は、右請求書を受理進達する権限を有するものと解されるが、右権限は、その性質上、請求書の必要記載事項や添付書類の有無を形式的に点検確認する程度にとどまるものというべきである。

従って、都道府県知事又はその委任を受けた社会保険事務所長は、遺族年金支給裁定事務とは明らかに区別された葬祭料に関する事務や遺族年金支給裁定請求書の受理進達に関する事務の権限を有するにとどまり、遺族年金支給裁定に関する事務についてなんら法令上の権限を有しない。

さらに、一件記録によれば、相手方が、遺族年金支給裁定請求に関して、社会保険事務所に対し、職務上の事由による死亡かどうかの調査を依頼し、その旨の報告を徴するなどの内規や慣行の類はないことが認められ、これによれば、相手方は、内部的にも、右調査依頼や報告等を必要としない態勢で右裁定事務に臨んでおり、都道府県知事や社会保険事務所の関与をなんら予定していないものというべきである。

また、船員保険に関する機関委任事務を処理する点においては、都道府県知事は厚生大臣の指揮監督を受ける下級行政機関となり、都道府県知事からさらにその委任を受けた社会保険事務所長もその下級行政機関ということができるが、社会保険事務所長は、国家公務員としての身分をも有する地方事務官という特殊な立場にはあるが、本来は地方自治体の行政機関であるにすぎず、機関委任事務以外の国の事務については、国の下級行政機関であるとはいえないものであり、機関委任事務以外の事務である遺族年金支給裁定に関する事務についても、国の指揮命令に服する関係にはないものというべきである。

以上によれば、本件において、下関社会保険事務所長による抗告人の遺族年金支給裁定請求を相手方に進達するなどの事務処理をもって、遺族年金支給裁定事務そのものの処理に当たったものと評価すべきではないのはもちろんであるが、さらに、同社会保険事務所長が右請求書に前記「事情聴取書」等の書面を添付したことなどについても、法令、内規、慣行等にその根拠があるわけのものではなく、偶々葬祭料の支給を職務外の事由で行なった関係上、相手方に対する事実上の配慮として参考程度に付したものにすぎないものであることが明らかであるから、右は、資料収集や意見具申等によって相手方の裁定事務そのものに関与したものとはいえず、せいぜい地方自治体の行政機関がなんら指揮命令に服さない関係にある国の行政機関に対して対等な立場でいわゆる行政協力をした程度にすぎないものであり、これをもって、同社会保険事務所長が相手方の遺族年金支給裁定に実質的に関与し、その「事案の処理に当たった下級行政機関」に該当するに至るものとは到底いえない。

他に、本件に関し、山口県知事又は下関社会保険事務所長が、行政事件訴訟法一二条三項の「事案の処理に当たった下級行政機関」に該当することを首肯させる事実関係を認めるに足りる資料はない。

よって、原決定は正当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、抗告費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 山田忠治 安倉孝弘 矢延正平)

原審判決の主文、事実及び理由

主文

本件訴えを東京地方裁判所に移送する。

事実

一 被告指定代理人は、本案前の申立てとして主文同旨の裁判を求め、その理由として、「原告の本訴請求は、社会保険庁長官が昭和五九年三月七日付でなした松尾千年の職務外の事由による遺族年金支給裁定処分の取消しを求めるものであって、同長官を被告とするものであるから、本件訴訟の管轄は東京地方裁判所に属する。」旨述べ、原告の後記1の主張に対し、次のとおり反論した。

1 本件で、船員保険法による遺族年金支給裁定請求書は山口県知事を経由して被告に提出されている経緯があるが、山口県知事は本件遺族年金裁定申請に関しては、元来被告の「下級行政機関」に当たらない。

2 行政事件訴訟法一二条三項の趣旨に鑑みれば、「事案の処理に当たった」とは、単に提出された書類を受理し、書類の記載漏れの点検など形式的な処理をして上級行政庁に送付したにすぎない場合や調査の嘱託等を受けて資料の一部を収集した程度では足りず、事案の調査を行い、処分の基礎となる資料を積極的に収集し、上級行政庁が処分をするに際し、右事案の調査に基づいて意見を具申するなど、実質的に処分の成立に関与し、重要な影響を与えた事をいうところ、本件において、山口県知事は船員保険法、同法施行令、同法施行規則に基づいて原告の遺族年金支給裁定請求書を受理し、その必要的記載事項を形式的に点検確認をしたうえ、被告社会保険庁長官に対し送付したにすぎず、本件処分の成立に関与したものとはいえない。

もっとも、本件において山口県知事は、被保険者亡松尾千年の死亡事由を調査し、それが職務外の事由に基づくものである旨の「報告書」を作成して遺族年金支給裁定請求書の送付に際し添付しているのであるが、これは、山口県知事の所掌にかかる船員保険法の葬祭料支給決定のため、知事において、事情調査し、その結果葬祭料は職務外の事由に基づく死亡として支給決定をしたが、被告に対し原告の職務上の事由による遺族年金支給裁定請求書を進達するに際し、この間の事情を説明するために添付したにすぎず、山口県知事が遺族年金裁定処分(本件処分)の成立に関与した訳ではない。

二 原告は、被告の移送申立を却下する旨の決定を求め、その理由として次のとおり述べた。

1 本件において、山口県知事は、亡松尾千年に対する「当直船員死亡報告書」、「当直船員松尾千年死亡の件報告書」、「船員保険による健康診断証明書」などの本件処分の基礎となる資料を積極的に収集し、更に松尾千年の死亡事由を調査した結果及び死亡原因についての判断、意見を記載した「事情聴取書」、職務外事由による死亡と決定した経過を記載した「松尾リツ子(死亡松尾千年)請求の遺族年金について」と題する書面を作成し、被告に送付している。

山口県知事のこれらの処理は遺族年金支給裁定についての実質的調査と意見具申にほかならないから、山口県知事は行政事件訴訟法一二条三項にいう「事案の処理に当たった下級行政機関」に当たるというべきである。

2 下関市在住の原告にとって東京での審理を強いられることは非常な負担であるのに比べ、被告側の不便は、各地方法務局に訟務官がいる現状ではさほど大きくない。

証拠関係についても、亡松尾千年の死亡事故は下関港内の船舶内で発生したもので、船の所有者、医師など証人として取調べを要する者はいずれも山口県内に居住しており、国民の出訴を容易にし、証拠収集の便宣をはかる行政事件訴訟法一二条三項の趣旨からしても、本件は山口地方裁判所に管轄が認められるべきである。

理由

一 行政事件訴訟法一二条三項は、ある処分につき形式的には上級行政庁が行ったものであっても、実質的にはその下級機関がこれを担当している場合に、その下級機関の所在地に管轄を認めることによって、原告の出訴を容易にし、また証拠資料収集の便宜をはかる一方、被告行政庁の対応の便宜を考慮し、その調和をはかった規定であると解されるが、右法意に照らすと「事案の処理に当たった」とは、調査の嘱託等を受けて、単に資料の一部を収集した程度ではなく、積極的にその処分に関与し重要な影響を与えたことを要し、「下級行政機関」とは、当該処分庁と上級、下級の関係にある行政機関を指し、国家行政組織法その他の場合によるとを問わず、単に内部的な組織法上の機関も含まれると解すべきである。

二 そこで本件における山口県知事が遺族年金支給裁定事務について有する権限、責務及び山口県知事が遺族年金支給裁定処分について関与した程度について検討する。

まず、船員保険は政府が管掌し、保険事務の一部を都道府県知事に委任することができるものとされる(船員保険法二条一項、二項)が、船員保険給付の決定及び給付額の算定並びにそのほか保険給付に関する事務のうち、本件のような被保険者又は被保険者であった者の死亡に関する保険給付の決定及び給付額の算定については都道府県知事に対する委任事務から除かれ、ただ遺族年金支給裁定請求書については都道府県知事を経由して差し出すものとされている(同法施行規則八一条二項、八七条)。この場合、都道府県知事は機関委任事務として、裁定請求書の受理、点検を行うものであり(山口県では右事務について、知事から更に下関社会保険事務所に委任されている。)とされ、これに関し被告の指揮命令を受ける関係に立つが、これも必要的記載事項や船員保険法施行規則の要求する添付書類の確認など形式的な点検事務にとどまるのであって、都道府県知事には、法令上受給権の存否に関する判断権限はなく、また右につき、仮に被告から判断を求められたとしてもこれに応ずるべき義務はない。

そしていずれも成立に争いのない甲第一ないし第五号証、乙第一、第二、第三号証の一の一、二、同号証の二ないし一一、第四、第七号証、証人大迫重昭の証言並びに弁論の全趣旨によれば、本件で山口県知事はその所掌にかかる船員保険に基づく葬祭料の支給決定のため、亡松尾千年の死亡原因につき調査を行い(下関社会保険事務所が担当)、職務外の事由による死亡と判断して葬祭科の支給決定をしたが、同時に知事に提出されていた遺族年金支給裁定請求書を被告に送付するに際し、下関社会保険事務所職員作成の亡松尾千年の死亡原因を調査した経過及びこれに基づきその死亡が職務外の事由によるとの判断を記載した「事情聴取書」、「松尾リツ子(死亡松尾千年)請求の遺族年金について」と各題する書面(以下、「本件書類」という。)を添付したこと、しかしながら、遺族年金支給裁定請求書の送付に当たって右のような書類を添付すべき旨定めた法令、内規、事実上の慣行は存しないし、右送付が被告の依頼あるいは指示によってなされたものではないこと、以上の事実が認められる。

三 以上によれば、山口県知事のした本件書類の添付については、被告が判断するにあたって、その便宜を慮ばかって参考程度に添付したものであって、事案を処理する権限のない機関のした事実行為にすぎず、積極的な関与を肯認することはできないから、山口県知事が「事案の処理にあたった下級行政機関」に該当するとはいえない。

そうすると、被告の申立は理由があるから、行訴法七条、民訴法三〇条一項により主文のとおり決定する。

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